とにかく書き出す

一時期、自分の日記やブログを全て英語で書いていた時期があった。英語力不足への危機感から生まれた発想だった。当時の担当クライアントは全て英系企業で、チームも英人ばかり、私が日本人であること日本語スピーカーであることに何のアドバンテージもなかった頃だ。最近は気分次第で英語で書いたり日本語で書いたりするようになったのだが。それはさて置き、母国語で書き落とすことでしか深く掘り下げにくいこともある。何故なら言語イコール思考でもあるからだ。仮に英語力がネイティブの大学生レベルだとすると、大学生のレベルの思考で止まってしまう。何故なら語彙力や表現力があまりにも足りないからだ。これは音楽にも言えるかもしれない。稚拙な演奏しかできなければ、いくら頭の中で曲を描こうにも限界があるだろう。その証拠にほとんどの著名作曲家は何らかの楽器をかなりのレベルで演奏できる技術を持っている。それに気づくと、改めて書き出すことの大切さを実感せざるを得ない。

さてその思考だが、面白いことに書き出したものから自分の考えを修正、コントロールすることができる。思考が先にあって、その後にアウトプットがあるというのが常識的な考えで、もちろん間違ってはいない。よもや思いもしないものをいきなり書き出すというのは無理で、思いつきで書いたものでも、必ずどこか頭の片隅にあったものが出てきたものであろう。それでも書き出しから思考へという逆方向が存在する。感情を含めた思考は時には制御が難しくなる。その時、司令塔となる理性や直感が鈍り、感情という翼を持った思考という龍は、上空を暴れることになる。その龍を諌める、手綱を握り、感情の翼を制御することができるのが、翼を含めた龍の姿を「描き出すこと」である。書き出してみると、本来向かうべき方向と異なる方向を向いている龍や、無作法に暴れる翼の醜さを認識、観察することができる。そして、その本来向かうべき方向や優雅な翼の羽ばたきを描き出すことで、現在の暴れ龍は徐々に向きを変え、翼は落ち着きを取り戻し始め、気づけば理想的な姿に近づいている。

書き出すという作業は重要で、仕事の上でも常に求められる。クライアントからアドバイスを求められた時、どんなオプションがあるか? To Doは何か? プライオリティは? 技術的問題は? そもそも何が問題か? と突然多くイシューを投げかけることになる。よほど頭のよい人でない限り、これらを何らかの形で整理しないと混沌としてしまう。感情論や必要のない個人的考えなども混ざってくると、さらにタチが悪くなる。こういった場面ではとにかく書き出す。クライアントとのヒアリングから得た情報をまとめる作業、クラインアントの要求の理解、ゴールの設定、To Doや計画の明確化などを行うと、頭の中がクリアになってくる。チーム編成やレポート形式の決定はその後だ。

先を急いで、いきなり飛び込もうとすると、途中で暴れ龍となり、時間だけ費やして、チームのスタッフも振り回し、挙句に何が言いたいのかわからないレポートが出来上がる、という結果になりかねない。これは監査にも言えよう。ドキュメンテーションは非常に重要で、これを怠ると監査チームは暴れ龍となり得る。クライアントのヒアリングやチーム内でのブレインストーミング、現場での各種テストでの発見と結果など、重要かつ有益な情報や考察が詰まっていても、ドキュメンテーションされないとそもそもチーム内で共有できないし、何が目的か、これらの結果をどう結論づけるかという肝心な部分まで至らずに終わってしまう。それぞれの手続きがスタンドアローンで全体と結びつかず、放置されてしまいかねない。そうなると現場の終盤や監査完了工程でやはり暴れ龍となる可能性が高まる。

とにかく書き出す。迷ったら書き出す。考えていることから何でも落とし込む。頭の中だけで解決させようとしない。決算、監査シーズンが始まり、誰もが積み上がった目の前の仕事で手一杯となり、少しでも早く片付けようと躍起になろう。でもほんの少し立ち止まって、少しでも多く書き出す作業に時間を割けば、その時点は余計に時間を圧迫するだけに思えるだろうが、プロジェクト全体で見た時、結果として最短距離を走ることに繋がるということを忘れないようにしたい。
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