日本の世論に思うこと

このブログでは政治的な内容や思想的なことについてはあまり触れるつもりはないが、最近の日本の政治や民意について思うことがあり、あくまで一意見として個人的見解を述べたいと思う。

安倍政権に対する内外の批判が強いのは海外にいる身としても感じる。その多くの意見が、これまで平和主義を守っていた日本が好戦的な政策に移行し、また内政でも増税や不公平を助長するものであることを主眼としているものが多い。しかしその平和主義が世界から見たとき、独善的で自己完結的である可能性ことについて論じられていない気がしてならない。今回のフランスのテロから、安倍政策で日本はテロに晒される国家となった、という意見が散見される。しかしテロ対象国家になることを断言的に悪とするのは、グローバルで見たとき、独りよがりなのかもしれない、もっとはっきり言ってしまえば、自分さえ安全であればよし、とする思想にも通づるものがあることについては、どうなのだろうか。

良くも悪くも日本は島国として守られてきた。大きな侵略もなく、致命的な民族差別や迫害もなくやってこられた。しかしこれは世界で見たとき、非常に稀で特殊な歴史なのである。民主党時代に、腰抜け外交と大衆への迎合政策、そしてリーダシップ不在による日本のダメージは国内にいてはわかりにくいかもしれない。しかし海外にいた身として、日本の世界における存在感の加速度的な低下と、見下された外交は正直、目も当てられないほどであった。日本のリーダーの名前など誰も語らない、来年にはまた違う「リーダー」がやってくるのだから、誰も真面目に長期的な対話を持とうとは思わない。それでいて国際貢献は痛みなく、かつ責任なく、そして存在感ない道を辿る一方であった。英国でもいつしかニュースや紙面から日本に関するものは消えていった。皮肉にも日本の存在が復活したのは、かの東北大震災であった。

どの世界でも、意見を述べ、主張し、自己を守り、一方で何かに貢献するということは、必ず敵と味方が生ずる。逆に誰からも批判されないということは、それだけ存在感がなく、さして世界に対して一石も投じて無いといことに他なら無い。アーティストにも言えるだろう。これだけ内外から賛否両論が生まれ、これだけ強いリーダーシップと主張を持った政権は過去10年なかった。安倍首相も人の子であり、ミスもすれば偏っていることもある、弱気な部分もある。しかし一方で、敵を作ることを恐れず、日本にしっかりとしてディレクションを示し、しかるべきところで妥協しない外交を実行していることは評価されるべきではなかろうか。先に述べた、日本の「平和主義」が独りよがりであることは、ひとたび海外に出れば、痛烈に感じるものである。

人間は飢えれば何でもする。生き残るための本能である。国家も同じだ。調子がいい時は、行儀よく理性的な外交で調整がつく。しかし国家が脅かされたり、存続に窮した時、それまで理性的な態度は豹変する。それが自分には及ばいないと信じて、どこか遠い世界の話と思っているうちは、その「平和主義」を標榜していられる。しかしひとたび自身に脅威や被害が及ぶとなった時、そんなはずではなかったと人々は思う。自国の「平和主義」のために、外の世界のえげつない争いを見て見ぬ振りをしてきた国が、突然隣国から理性を逸した攻撃を受けた時に、誰が助けてくれるというのだ。敵を作ることを恐れて、周囲に妥協し、摩擦を恐れるがあまり悪くもないのに謝り、悪いものを悪いと言わない、という政策は平和主義でも何でもなく、それは「臭い物に蓋をする」ご都合主義に他ならない。テロリストの対象になりたくないから、テロリストを批判もしない。突然、北朝鮮が日本に何の前触れもなくミサイルを撃ってきても、その平和主義を貫けるだろうか。そういったときだけアメリカに助けを求めたりはしないだろか。それでも平和主義のために、金は出すが、痛みやリスクを伴う貢献はしたくないのだろうか。税金も然り。世界でも類を見ないほど貧困層が少なく、「底辺」などと言いつつも、自由に人生を選択しながらも衣食住に困らない福祉国家に守られていながら、その国家が天井知らずの債務超過であるのを知りつつ税金で貢献したくないというのはあまりに虫が良すぎないか。

私の意見は少々強いかもしれないと自覚している。しかし意見すべき必要もあると感じる。もちろん私の考えが正しいなど微塵も思わない。あくまで一意見である。お前こそ、海外にいる日本人で本当の日本のリスクを背負っていないではないか、という批判も受ける覚悟である。しかし海に守られた島の中にいて、世界との接点の少ないところにいては、思いもつかないことも多いと思う。だから敢えて海外にいる日本人として思うことを述べてみた。
広告